木の芽時を恐れてる

2018年に一人っ子になりました。妹を亡くした自死遺族の日記です。

帰宅

実家に戻ってしばらく待っていると、妹が帰ってきた。

家に帰った妹は唇が縫いとめられていた 噛み切るか、開きっぱなしになるかしていたのかもしれない 私が見たときは瞳は閉ざされていたが、開いていたから閉じたと母が言っていた。

私の知らない横顔。 でも死んだ妹と死ぬ前の妹は連続している。 いつ死んでも、死のうとしても、既遂しても不思議はなかった。 絶対に止めたいなら、強制的に入院させて監禁させるしかなかったと思う。

死んでからのことよりも、死ぬ前の元気だった姿を思い出したい。

好きなものを分けてくれた妹
私に付き合ってパフェを食べてくれた妹
高校生の頃、薬をすりつぶして吸っていた妹
一緒に読んだ桃寿さんのブログ
オーバードーズでろれつが回らなくなっていた妹
措置入院でベッドに縛り付けられていた妹
暇すぎて死にそうだからと呼び出してきた妹
化粧品を買うのに付き合ってくれた妹
友達がカフェを開くから相談されてると、大丈夫かな、と心配していた妹
花火をしたいとバーベキューをしたいと言った妹
きれいにネイルを塗る方法を教えてくれると言っていた妹
いたずらっぽく舌に空けたピアスを見せてくれた妹
パスタを作っていた妹

最後に楽しい思い出は思い出してくれただろうか。 引き止めるほどの力はなかったとしても。


生きてるだけで、死にたくなる。 なにか自分は構造が間違っているんだと思う。 それでも「死ぬのってめんどくさい」そう思えるから生きている。 死ぬためのコストが、生きようとするコストより低くなる瞬間。 生きるコストよりベネフィットが高くなるように、死んだときの損益が大きくなるように、毎日、未練を増やすように過ごしている。