帰宅
実家に戻ってしばらく待っていると、妹が帰ってきた。
家に帰った妹は唇が縫いとめられていた 噛み切るか、開きっぱなしになるかしていたのかもしれない 私が見たときは瞳は閉ざされていたが、開いていたから閉じたと母が言っていた。
私の知らない横顔。 でも死んだ妹と死ぬ前の妹は連続している。 いつ死んでも、死のうとしても、既遂しても不思議はなかった。 絶対に止めたいなら、強制的に入院させて監禁させるしかなかったと思う。
死んでからのことよりも、死ぬ前の元気だった姿を思い出したい。
好きなものを分けてくれた妹
私に付き合ってパフェを食べてくれた妹
高校生の頃、薬をすりつぶして吸っていた妹
一緒に読んだ桃寿さんのブログ
オーバードーズでろれつが回らなくなっていた妹
措置入院でベッドに縛り付けられていた妹
暇すぎて死にそうだからと呼び出してきた妹
化粧品を買うのに付き合ってくれた妹
友達がカフェを開くから相談されてると、大丈夫かな、と心配していた妹
花火をしたいとバーベキューをしたいと言った妹
きれいにネイルを塗る方法を教えてくれると言っていた妹
いたずらっぽく舌に空けたピアスを見せてくれた妹
パスタを作っていた妹
最後に楽しい思い出は思い出してくれただろうか。 引き止めるほどの力はなかったとしても。
生きてるだけで、死にたくなる。 なにか自分は構造が間違っているんだと思う。 それでも「死ぬのってめんどくさい」そう思えるから生きている。 死ぬためのコストが、生きようとするコストより低くなる瞬間。 生きるコストよりベネフィットが高くなるように、死んだときの損益が大きくなるように、毎日、未練を増やすように過ごしている。